キタミナ

当面は日本に帰らないでなんとかやろう。

「ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた→そしたら以外に役立った」という本を読んでみて

こんにちは。西江です。

 

先日、友達にKindleで「ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた→そしたら以外に役立った」という個性的な名前の本をプレゼントしていただき、本日、少し時間があったので読んでみました。著者は堀江貴文さん。日本語の本は久しぶりに見ました。本当にありがとう吉見くん。

 

 

概要

著者である堀江貴文さんが投獄され、快適に情報を収集することのできたネット環境から隔離されてしまいます。そこで情報弱者にならないようにスタッフや、100万部超えのベストセラー「夢をかなえるゾウ」の著者である水野敬也さんをはじめとする多くの有名作家から本やブログ、マンガや記事を実業家である堀江貴文さんが読み、その中でもお勧めできる作品を堀江さんが解説したり、堀江さんが日常的に気になっている事柄を理解するのに適した本を紹介する、といった内容でした。

 

特に印象に残ったところ

 

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 流石は堀江さん。面白いモノの見方や表現があったのですが、個人的に特に印象に残った2つのテーマを紹介したいと思います。

 

 

情報の鵜呑みは非常に危険

 4つあるメインテーマの一つに情報を鵜呑みにする日本人へ、というテーマがありました。”情報人災としての福島原発”という本書のサブテーマからも分かるように、東日本大震災の真っ只中、様々な憶測、なかにはまったく根拠のない悪質なデマが広がり、結果として福島の産業は大打撃を負うことになったそうです。著者は「バカは放射能よりも怖い」と締めくくっていました。辛辣ですが同意できるところがあると思えました。

 

遠い親戚の年配の女性も、マスメディアの放送することに何の疑念も抱くことなく、震災後の数週間、家からは極力出ないように心がけていた人がいました。福島産の農作物は今でも買わないようにしているのはちょっとアレですよね。まぁ本人の自由なんですけども。

 

 

 

勝者に学ぶ”ヤマ師の美学”

私が特に共感したテーマでした。

 

このテーマは著者がカジノで5000万円を獲得するも、一億円を狙ってダブルアップ(倍賭け)をして無一文になった、という導入から入ります。そしてDNAの2重らせんという「神様の設計図」とも呼ばれる世紀の大発見をしたジェームス・D・ワトソンとフランシス・クリックについて書かれた「2重らせん」という本について書かれています。

 

科学であっても競争、というように”ヤマ師”として紹介されているワトソンがあらゆる障害にも屈せず、仮説を立て、一発逆転を狙って成功を収めるという話の中で著者は、勝利への恍惚感と「さぁどうなる?」という感覚。これは人生で数あるラッキーな瞬間において”さらに踏み込んだものだけ”が手に入れることができる、というように書いておりました。

 

私事ですが、高校生のころネットオークションでお小遣いを稼いでいたことがあります。近所の古本市などの中古品を扱っている店に行き、ネットで高く売れそうなものを調査して購入し、高く売るという古典的な方法でした。転売っていうやつですね。高校生の私にも理解できる極めて簡単なものでした。余談ですがチケット等の転売にも興味のあったものの、当時ジャニオタと呼ばれるジャニーズの熱狂的なファンをブチ切れさせ、彼女たちの巧みな誹謗中傷の後、私はSNSアカウントを一つ失った直後でしたので怖くて手は出せませんでした。

 

 

そんな小遣い稼ぎで得た金額を自給として換算してみると普通にバイトをしたほうが稼ぎとしては良かったのですが、自分1人で人気が出そうな商品の調査、商品の売り方を熟考したり、取引相手との連絡、商品の梱包、発送などをやっていたので、うまくは言えないが充実感みたいなものがあったような気がします。

 

 

その後は古着、東京ゲームショウなどのイベントでもらえた特典、映画の前売り券などで引き換えできる商品などを取り扱っていき、半年後には友人数人を巻き込んで高校生としてはそこそこな金額を稼ぐことができていました。

 

最終的には、読みが大外れして10万円という高校生にしては多額の損失を出してしまいましたが、大金を失うまでの数週間、「もしも上手くいったらとんでもないぞ!」という成功した後のことを考えていた時間は私の人生の中でも上位に入る充実した時間だったかのように思えます。

 

 

 

読んだ感想

 

読みたくなる本が1冊は見つかる

 私は、この本を知り合いから「読みたい本を探すのに役に立つよ」と紹介されて読ませていただきました。

 鉄道ドラマを扱った「カレチ」や、オウム真理教を扱ったノンフィクション「A3」、科学オリンピックについてのドキュメンタリー「理系の子ー高校生科学オリンピックの青春ー」など、著者が紹介してくれる本のジャンルは多岐にわたっていました。

 どれも著者の堀江さんの日常的に考えていること、例えば 

”日本人はもうちょっとわがままになったほうがいい”、

”なぜ日本では「怪物」が育たないのか” 

というテーマに沿って紹介されているので非常に興味が湧く構成となっていました。

 

 

ただ、そんなに読みたい本って探すの難しくなくない?というのが率直な感想です。

 

そもそも”読みたくなる本”というのは書店に行き、本棚を漠然と見渡していても無意識下のうちに読みたい本は選別されていると思います。私も先日 最寄りの図書館に行って漠然と見渡しながら散策することで「How to be an international spy(国際的スパイのなり方)」という非情に興味深い7歳~11歳向けの本を探し出して借りてきました。鳩などの動物がスパイとして第二次世界大戦で使われたという衝撃の事実を知り、よくベランダに来る鳩が急に疑わしく思えました。

 

私の主な本の探し方はこんな感じですが、まったく興味のないような題名でもチラッと中を見ると面白そうな本だったりするのでちょっとした冒険のようで面白いですよ。

 

これは特に特別なことではなく、人間というのは視覚から得た情報を潜在意識下で取捨選択をしている、というのを過去に何かの本で読んだことがあります。そのため本屋に行けば 何かしらは興味が持てる本に出くわすらしいです。私は潜在的には国際的スパイになりたかったようです。

 

 

 しかし、あくまで無意識下のうちに選別されるのはタイトルから判断できるジャンルなど、非常に大まかなものなので内容をみてガッカリ、ということも多々あります。

 

 したがって、筆者の堀江さんの考え方を垣間見てみたいと考えている方や、質の良い本を読みたいと思った方にはお勧めできる本だったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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職場の台湾人と卓球したら異次元だった話

先日こんな記事を書いた。

 

 

www.nisiesho.work

 

 

そして、昨日 実際に卓球をやってきた。

 

ほかの台湾人のことは知らないが、職場の台湾人達のプレースタイルが私の常識とはかけ離れていたのでここで書かせていただきたい。

 

 

 

サーブから強打

体育館に着くとすでに彼等は台で打ち始めていた。

 

すこしして卓球台が空いたので仲の良いエジソンと打つことになった。彼のラケットはシェークハンド。ウォーミングアップで打ち合っているときに「あ、少しは打ったことあるのかな」と思えるほどのフォームだったりした。

 

数分打ち合ってから試合形式のゲームをすることになった。

じゃんけんをしてエジソンからサーブをすることになった。

 

構えるエジソン。そして…………

 

 

 

 

 

ビシィッ!!!!

 

 

 

 

と、信じられないようなスピードの打球が飛んできた。

 

卓球は詳しくないがサーブではありえないようなスピードの打突であったことは理解できた。な、なんなんだこれは…世界レベルなのか…?と内心かなりビビったが平静を装い、彼の2球目のサーブ。

 

 

構えるエジソン……

 

 

 

 

 

 

 

ッバシィッッッ!!!

 

 

 

 

またも矢のように鋭い打球が飛んできた。そして気づいた。

 

 

「エジソン、自分のコートにワンバウンドさせてねぇ……」

 

 

と。

 

卓球をあまりやらない人はご存知ないかもしれないが、卓球のサーブにおいてはまず自分のコートにワンバウンドさせて相手のコートに入れなければならない。

実際に卓球をやられた方は分かると思うが、サーブで自分のコートに入れる、というルールがなければ卓球とは初めにサービス権を取った人の勝利が決まるスポーツになってしまうのだ。事実、エジソンの超威力の高速フォアドライブを返すことは不可能だった。見えなかった。球が。

 

さすがにサーブを100パーセント決めるのは自分的にもどうかと思ってくれたらしく、5回目の彼のサーブ後、自分で調べてくれてサーブのルールを理解してくれたようだった。なんで彼がサーブのルールも知らないくらいに素人だったのにあんなドライブを打てたのかは甚だ疑問だった。

 

 

 

ぶっつけサーブ

ようやくサーブでいきなり強打という地獄のような難度のゲームから解放されたと思ったのも束の間、またもエジソンのサーブに悩まされることになった。

 

それがこのぶっつけサーブというものだ。

 

あまり聞いたことのないサーブだと思います。私も調べるまでは知らなかった。

というのもエジソンのサーブ、ボールをほんの少ししか上げずに打ってくるので反応がしずらい。というか反応ができない。またも漂うムリゲー感。

 

調べたところ、卓球のルール上、サーブにおいては球が落下途中でなければ打ってはいけないことになっているそうだ。ほんの少しだけボールをトスした球を打ってはいけないらしい。これも公平性を守るためには大事なルールのなのだそうだ。これを無視したエジソンのサーブはありえないほどの速さでエンドライン深くにビシバシ決めてくるので取りずらい、というか全く取れなかった。

 

このぶっつけサーブ、高校の体育の授業では比較的見られるサーブであり、例にもれず私もこのサーブを得意とする同じ部活だったクラスメートと口論になった過去があった。素人同士でやると本当に取れないのがこのぶっつけサーブなのである。

 

これも流石にゲームにならないと彼は判断してくれたようで、ゲーム途中にググってくれて控えてくれたので良かった。ごめんよ。。私にはその球は返せないんだよ…

 

 

 

 

まとめるとそのくらいしかなかったが、普通に彼らとの卓球は面白かったので来週もできたらいいな。

 

おしまい。

 

 

 

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23歳 童貞 プログラミング始めます 初心者の私の持つプログラマーの偏見まとめ

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こんにちは西江(@SNisie1129)です。

 

突然ですがワタクシ、今日よりプログラミングというものを始めてみようと思います。

 

プログラミング。おそらく普通に生活をしていくうえではまず関わらなかったことだと思います。私も聞いたことはあったはいえ、その単語の難解な響きと「予告犯」という漫画から、興味はあったものの「初心者には敷居が高いのだろう…おそろしい……」と手が出せませんでした。ちなみにその漫画のせいで、しばらくホリエモンも苦手になりました。

 

 

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参照元:netgeek media innovation

 

 

今回は、最初のプログラミングに関する記事ということで、現在、プログラミングのことを一切知らない私がプログラミングに関する偏見を、過去に一人だけいたプログラマーの知り合いの松木クンをもとに、まとめていこうと思います。

 

 

 

(注意!この記事はすべて、筆者の偏見によって書かれています!純度100パーセントの偏見ですので、プログラマーの方は「こいつ、殺したろか」と思うこともあることと思いますが殺さないで、ブラウザを閉じてください。よろしくお願いします。)

 

 

偏見①キレやすい

なんとなく、プログラミングを生業としている人って、些細なことでも切れやすいイメージがあります。殺さないでください。

 

プログラミングとは、なんかよくわからない文字を大量に入力してマクロ(?)的なやつ動かすらしいのですが、その際に一文字でもミスったりすると、正確にプログラミングが動かなかったりするらしいです。そのため多分、プログラマーはあれほどまでにパソコンにかぶりつき、画面のコードを隅々まで確認しているのでしょう。

 

そのような、細部にわたるチェックを必要とされるので必然的に慢性的にストレスがたまり、松木クンはあれほどまでに金に細かく、私に厳しかったのでしょう。

 

 

偏見②プログラミング以外には興味がない

なんとなく、プログラマーの方ってプログラミング以外には興味を示さないようなタイプが多い気がするんですよね。女の裸よりもプログラミングを好むような人が多い気がします。

 

まぁ、私の知っているプログラマー(アマチュア)といえば松木クンただ一人なのですが、私の見る限り、彼はプログラミング以外のことはおろそかにしていました。代わりにプログラミングへの情熱はすごかったです。休日何してたの?って聞くと大抵はプログラミングやってたと答えられてました。

 

会社があるし、ちょっと調べたらところチームでの作業になるので協調性が大事だったりするようです。え~嘘~!意外~~~!。(殺さないでください)

 

ただ、それでも一般的な人に比べてテレビやお笑いとかにはてんで興味がないような人が多い気がします。まぁ、でも私はそんな人が好きですけどね。

 

 

 

偏見③目が悪い

目が悪い人が多いようなイメージがあります。

 

勝手な見解ですが、プログラミングをされる方は総じて目が悪くなっているという断固たる偏見がございます。

 

というのも、一日に何時間もパソコンの画面を見るわけですから必然的に目は悪くなると思うんですよね。分かります。目が悪くなる、というよりは焦点の合う場所が変化したりすることによって、遠くが見にくくなるのでしょう。松木クンいわく、夜に眼鏡を外して夜景をみると花火みたいに光が見えて綺麗らしいです。彼はヤバいくらい乱視でした。幸い眼鏡を外しても目は33のようにはなりませんでしたが。

 

幸いなことにも、私の視力はすでに0.1を下回っているのでこれ以上はプログラミングによって下げられることはないでしょう。目が悪くて良かった。

 

 

 

偏見④ブラインドタッチができる

ブラインドタッチ、というのはキーボードを見ないで文字をタイピング(打てる)できるということです。憧れます。

 

私はプログラミングはプの字もしらないほどのズブの初心者ではありますが、なんとなくプログラミングというのは「コード」という文字列をつらつらと書くものだと認識しております。いちいちキーボードを確認して文字を打ち込んでいるようでは作業効率が悪いので、プログラマーと呼ばれる方は全員、ブラインドタッチができると認識しております。

 

 

偏見⑤頭が良い

ここでいう「頭が良い」というのは「論理的思考ができる」ということを指します。

 

プログラミングを行う(書く?)に当たって、そのプログラミングはしっかりと動くようにコード的なを書くそうです。

 

そのため、動かしたいようにコードを順番に書いていく必要があるので、必然的に論理的思考ができるようになるのでしょう。かっこいいですよね。

 

 

松木クンも自分の論理的思考には自信があるようでした。ただ、自分が論理的思考を持っている人ってうざくないですか?正論も扱う人によってはしょっぱく感じますよね。私はおよそ論理的思考からは程遠いところにいる人種なので彼と口論になったときは、彼の言っていることは論理的というよりは屁理屈に聞こえていました。

 

とはいえ、私もいっときは論理的な思考に憧れており、ネットで拾った情報で即席の理論武装をして松木クンと口論にいどんだときもありましたが、コテンパンにされました。さながら、有名コピペのジョーのような暴論だったのでしょう。

 

 

ジョーは酒場で論理学の教授と知り合った。 
「論理学ってのはどういったもんですか?」 
「やって見せましょうか。お宅には芝刈機があります?」 
「ありますよ」 
「ということは、広い庭があるわけですね?」 
「その通り!うちには広い庭があります」 
「ということは、一戸建てですね?」 
「その通り!一戸建てです」 
「ということは、ご家族がいますね?」 
「その通り!妻と2人の子供がいます」 
「ということは、あなたはホモではないですね?」 
「その通り!ホモじゃありません」 
「つまりこれが論理学ですよ」 
「なるほど!」 

深く感心したジョーは、翌日友人のスティーブに言った。 
「論理学を教えてやろう。君の家には芝刈機があるか?」 
「いや。ないよ」 
「ということは、君はホモだな!!」 

参照元:哲学ニュース nwk

 

偏見⑥すごい便利

やれAI(人工知能)だロボットだのがこれからの時代には生まれてくるらしいです。

 

正直プログラミングがどのようにAIやロボットに関係しているのかは分かりませんが、これからもネットはどんどん世に浸透していくと思います。どんどん便利なアプリケーションやシステムが開発されていくのでしょう。

 

よく分かりませんが、そんなアプリケーションもプログラミングが関係しているらしいです。それどころか、私がこれまで楽しく遊んでいたポケモンをはじめとする色々なゲームにもプログラミングが関係しているらしいです。

 

LineやFacebookでコミュニケーションが取れるのも、Webで探し物をするのも、今私がやってる黒猫オンラインだってプログラミングが関係しているらしいです。

 

プログラミングってすごい!

 

 

まとめ

プログラミングってちょっと調べれば色々なことに関わっているとんでもないモノであることが分かりました。

 

やりたいことも見つかったので、今日より勉強を始めてみようと思います。ただ、プログラミング、独学でやるのは非常に困難を極めるようです。

 

それに私にはプログラミング以外にも語学学習、彼女を作るために奔走し、日本語教師の資格をとるべく昼夜 凶暴な台湾人相手に教えたりしており、忙しい毎日を送っています。

 

なんの学問でもそうだと思いますが、頼れる師匠的な人がいると学習スピードも速いのでどなたか立候補していただけるとありがたいです。どうか、未来あるハンサムな青少年の私を助けるためにも教えてつかあさい!

 

師匠求ム!

 

 

 

 

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いまだにオーストラリア人との会話に四苦八苦している話

こんにちは。西江です。

 

 

昨晩久しぶりにビッキー(タイ人)からメッセージがありました。

一昨日に彼女の友人のウィリー氏の結婚式があり、友人代表として式に出席し、祝っているうちに結婚願望が強くなり、家に帰って酒を飲んでいるうちに強い孤独感を感じたとのことでした。強く生きろよビッキー。私は知らん。

 

まぁそれはそうと、こうして連絡を取るのも数か月ぶりであり、ろくに英語も話せなかった語学学校時代の数少ない友人でもある彼女に私の語学の上達具合を見てもらおうと思い、今朝、スカイプを使って面と向かって話してみました。

 

 

 

結論から言うと………

 

 

 

 

 

まぁなんと聞きやすいことか!過去に日本の小学校で英語を教えていただけあって、とてつもなく聞きとりやすかったんです。私が今住んでいるオーストラリアの人達との会話での理解度が30%だとすると、ビッキーとの会話の理解度はほぼ90%が鮮明に、クリアに聞こえるのです。残りの10%はそもそも知らない英熟語なので仕方がないです。

 

彼女とのスカイプ中、一昨日に結婚式を挙げたウィリーも参加してきたのですが、エフと同様に非常に聞きやすいんです。「まじか…?ひょっとして私が日本人だから気を使ってるのではなかろうか…」と勘ぐってしまうほどに聞き取れるんです。余談ですが、ウィリーは自国のタイの中学校で学生に英語を教えているそうでした。

 

 

 

そう考えるとオーストラリア人の話す英語ってなんであんなにも難解なんでしょうね。

 

現在、私の働いている職場にはオーストラリア人、イギリス人、アメリカ人などの英語を第一言語にする方達がたくさんいます。どこの国の人と喋っていても聞き取れずに、「え?もう一回言って?」とか「はっはっはー⤴(愛想笑い)」、「イエ~!ザッツライ!(この上なく適当な相槌)」でごまかしてしまうときはあります。

 

 

ただ、そのうちの一人、オーストラリア人のジェス(27歳 男)との会話だけは全く理解ができないんです。インポッシブルなんです。具体的に何が理解できないかっていうと、何にも理解できないんです。かろうじて「あ、英語しゃべってるんだな」と、ありえないくらい低レベルなことは理解できるんですが、それ以外は全く理解できません。

 

今朝もジェスがストロベリーの箱を回収するときに挨拶がてらに何かを言ってきたんですが、まじで何言っているかわからなかったんです。仕方ないので私の十八番の愛想笑いを仕掛けてなんとかその場をしのごうと思いましたが、ジェスはその場を動こうとしないんです。

 

「え…なにこれこわい…」と思いつつ、訳の分からないまま薄ら笑いを顔に貼り付けること2秒、ジェスは再度 何かを話しかけてきます。ようやく2度目で語尾が微かに高くなっていることに気づいたところで何を問われているかも分からないまま。もう泣きたくなるくらいに理解不能。かろうじて「あ、英語をしゃべってるんだな」とは理解できました。

 

迷った挙句、「ハハハー⤴ノーウェイ!(冗談はよせ、の意)」と苦し紛れに言ってましたが、そんな付け焼刃の相槌など通用するはずもなく、またもや沈黙の混沌の中か……と思われた瞬間にジェスは他のスーパーバイザーに呼ばれ、なんとか窮地を脱出しました。朝っぱらから気持ち、落ち込みまくりでした。なんだこれは、なんなんだと。

 

 

そのほかのオーストラリア人とは、まぁ先述したように聞き逃したりすることはあるものの、最終的には理解ができるのですが、たまーにジェスのように全く理解のできない方がいらっしゃいます。スラングだとかもあるんでしょうけど、それを差し引いても理解ができないような気がします。マジで困難を極めます。

 

 

フィジーやフィリピンで留学してからオーストラリアに来られるワーホリ・留学生の人達が近年、増えているようです。そのような方でもオーストラリア英語には苦労すると思いますので、くじけずに頑張りましょうね。

 

 

 

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ババァの胸の谷間につい目が行ってしまう私にうんざりした一日

こんにちは。

オーストラリアでの生活にもだいぶ慣れてきました。西江です。

 

 

みなさんはおっぱいって好きだろうか?

私は好きだ。なんだったら好きなものの中でも相当上位に入るほど好きだ。愛しているといっても過言ではない。当たり前だ。健全な青少年なんだ。

 

 

そこで質問なんだが、君たちはどのくらいおっぱいは好きなのだろうか?

 

私は高校時代、おっぱいとは何かを友達と議論し、数時間の議論の末、おっぱいは存在しない、という訳の分からない結論に至ったくらい好きだ。当然だ。アイラブおっぱいなのだ。

 

 

ではつづいて質問なのだが、君たちはおっぱいであればなんでも良いのだろうか?

 

私の場合は断固としてNOである。そんなわけないだろ普通に考えて。ドンキホーテでおっぱいクッションなるものが大セールで安売りされていたところで決して買わないだろう。タダでも欲しくない。というかおっぱいクッションて何…?気持ち悪……くらいのテンションだ。

 

 

おっぱいというのは、それが誰の持ち主のものであるのか、ということが重要なのである。ここは私の友人達と極端に意見が分かれたところで、彼らからは「このおっぱいレイシストめ!」やら「貴様におっぱいを語る資格はない!」などと散々言われた私であったが、あの頃から一貫して、その私のおっぱいへの思いは変わらなかった。

 

 

 

 

 

そんな私は先日、新しく口座を開設した際に不手際があったらしく、正しく処理するため本人確認やら何やらが必要とのことだったので銀行に行ってきた。

 

しばらく待ってると、どうやら少し時間を要するらしく、個室に案内された。

 

 

またしばらく待っていると、体重はゆうに100キロを超えているだろう50代手前の女性が目の前に座って話を始めた。

 

 

 

 

その女性の胸元がばっくりと空いたVネックであることにはすぐに気が付いた。

 

 

 

 

小生、女性のVネックは無論、嫌いではない。そもそもおっぱいが好きなのであるから、そのおっぱいをタダで見せてくれるというのならそれを拒む理由は特にない。

 

しかし、先述したように、女性は50歳手前くらいなのである。年齢で差別するな!という声も聞こえてきそうだが、何度も言うように私にとっておっぱいは、それが誰のものなのかに重点を置いているのである。50代のおっぱいなど論外。貴様、本官を侮辱するか!というくらい頭にくるほど論外だった。

 

 

 

そう論外だった。

 

 

 

おかしなことに、冷静に話していても私の視線は彼女の胸元に集中してしまうのである。何度も話に集中しなくては…!と思い、視線を手元にあった資料、最低でも彼女の首から下は見ないぞ、と意気込んでも彼女が手を動かすたびに視線が胸元には引き寄せられてしまう。これが引き寄せの法則というやつなのか…?と混乱、当惑する西江。

 

 

このままでは私はおっぱいであれば何でもよい無差別的おっぱい主義者になってしまう……!と過去に議論をし合った友人達にあれほど豪語した手前、何とかしなくてはと思うも、彼女がパソコンのマウスを動かすたびに私の視線はそのマウス、手、腕、肩という順番に進み、最終的には胸元に吸い寄せられる。不可抗力なのだ。

 

 

「ち、違うんだ……!」と頭の中で誰ともなしに必死で言い訳するも、数秒後には「うわ~~」という断末魔と共に視線は胸元に。「悔しい…!」と思いつつも視線は胸元へ。もはやマジック。ただでさえ英語での説明に戸惑っているのに、そんなことを頭の中であーだこーだしているうちに説明が終わってしまう。

 

このまま帰ってはせっかく車を走らせて遠地まで来たのに無駄足になってしまうと思い、なんとかもう一度説明していただくことになった。

 

 

しかし、もう手の打つところはなく、私の視線はどうあがいても最終的には彼女の胸元にいってしまう。このままでは彼女は日本人に対してよろしくないイメージを持ってしまう。日本人たちの未来を守らなければ…!と思う。

 

そうしてついに画期的な策を思いつく。

 

 

それが、目を伏せる、ということだった。

 

 

なまじ確認できてしまうから迷い、邪な心が生まれる。ならば見なければよいのだと。

 

 

とは言っても私の無駄な葛藤のせいでわざわざ余計に時間を取らせてしまっているにもかかわらず、完璧に目を伏せてしまっては無礼にもほどがあるので、資料と彼女のいじるコンピュータだけを見ることに努めた。

 

 

 

作戦は功を奏し、ほどなくして作業は終わり、私は銀行をあとにした。

 

 

もし、あのまま彼女と”普通”に話していたら私は永遠に彼女の説明を理解できず、視線は今もずっとおっぱいにあったのだろう。恐ろしい。童貞の諸君は一層 気を付けるように。ことオーストラリアはそのような服を着ている女性が多いように感じるので。

 

 

帰宅後、友人達には「私は今日、50代手前の女性と話し、恥ずかしくも会話中、私の眼は彼女の胸元にあったが決してやましい気持ちはなかった。これは不可抗力であって……」と長い言い訳文をラインした。

彼らからの返信はいまだない。

 

 

 

 

 

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