私の語学学校への切実な思い 正直………
Yo What ' s up.
西江だ。
もう気になって仕方ないのだが、他の人って語学学校に通うことに満足しているのだろうか?
実のところ私は満足していない。
そこで私がなにに満足していないのかを改めるべく記事を書こうと思う。
私の私による私のための記事が今回の記事である。
それではまとめていきたい。
目次
生徒と話していてメリットあるか?
まず語学力向上を第一に考えるのならば、ネイティブの人と話した方が数倍良いと思うのだ。
まず入学当時、クラスメートの言っていることがまったく理解できなかった。
当時の私のクラスはインターミディエットといって英語学習の中級者向けのクラスだった。
ただ私も今年の2月までは受験勉強として毎日英語を勉強していたので、まるっきし英語ができなかったわけではない。むしろ英語は得意科目でもあったくらいだ。
それにもかかわらず聞き取れなかったので非常に落胆したが、講師も非常に聴き取りに苦労していたので、私の語学力が低かったというよりはクラスメートの発音や文法に問題があったように思える。
そんなネイティブスピーカーの講師でさえ聞きあぐねる英語を一生徒が理解するなんて到底不可能だと思うのだ。きちんと正しい発音や文法が分かっていなければわかるわけがない。
当初は私も形式上は「なにいってんだよ~~www」とキャッキャしながら授業を受けていたが、3週間もしないうちに「駄目だこれは……はやくなんとかしないと……!」という危機感を感じはじめ、講師の方に切実に訴えクラスを上げてもらった。
もしも私が最初のクラスで不毛に何週間も過ごしていたと想像するとぞっとする。
さぞやwaste of time and moneyであったことだろう。
もちろん語学学校に通うことで知り合いができるという利点はあったが、果たして私の語学力へはどのくらい影響があったか疑問が残るところである。
クラスのレベルってどう決まってんのこれ?
正直な話、授業を受けるクラスがひとりひとりに合っていない気がする。
幼少の頃にUSAで過ごされていたため非常に達者に英会話ができる才女が最近 入学してきたのだがプログレステストの結果があまり良くないというだけの理由で最上位のクラスに上がれていない。
2週間前にある日本人が最上位のクラスに上がったのだが、彼はリスニングはおろかスピーキングも褒める部分はなかった。ただ単純に毎週月曜日に行われるプログレステストの点数が良いというだけで上がったので、両者の英語レベルを知っている私としてはクラス分けのシステムには非常に不服は残る。
そこまで道化にはなれん
クラスメートの会話を聞いていると本当に「えっこんなんでそんな笑える…?」と思うことが多い。単純に発音であったり、言い回しを間違えたりといったことにゲラゲラと笑っているので気が滅入る。愛想笑いにもほどがあるぞテメーら。
「笑う」ということは人間学的には「本当に面白いから笑う」というよりは「人との関係を良好にするために笑う」ということに近しいわけなのだが、それにしたって笑いすぎだ。授業に支障をきたすほど笑うのですげーうるさい。
とはいっても当初は私もそれに適応するように愛想笑いや興味が全くないことに対して興味を持っているふりを試みたこともあるが、私にとってはストレス以外の何物でもなかった。
私はもう自分で面白くないと感じたことで笑うくらいなら私は寡黙を選ぶスタンスだ。
文法もスピーキングもそこまで学べない
少し語弊があるが文法は日本ですでに教育済みのことを学ぶことになる。
人によっては英語の授業に慣れるのに時間がかかるという人もいるので、文法に限っては自力で地道にやる方がよっぽど効果があるように思える。
たまに語学学校で「文法よりスピーキングっしょ!」って声高に言うイディオットと会うが、これはもうアホの極み言いようがない。
もう少し賢い阿呆になるとネットから日本の英語教育批判の記事を見つけてきて即席の理論武装をしているようだが、なぜそんなに批判をしたいのだろうか。
そんな文法を軽視しがちな阿呆に代々木ゼミナールの講師 小倉 弘 氏は自著で以下のようなことを述べている。
巷には「日本の英語教育は文法ばかり教えているから生徒が英語を嫌いになり、英会話のひとつもできない」という批判があるが、それは「公式ばかり教えているから数学が嫌いになる」と言っているようなもので、ナンセンスとしかいいようがない。
「公式を覚えない英語教育」は、低次元の英会話だけやっている分には可能かもしれないが、英作文という名の付く学習においてはありえないことである。
文法的なことが間違っている文はすべて誤文、すなわち、そもそも文として認められないのである。
つまり、文法を意識しない英作文教育などあり得ないということだ。
(例解 和文英訳教本 (文法矯正編) --英文表現力を豊かにするより引用)
いままで日本の義務教育課程で習った主要な文法項目すべてが、文を生み出す際にはいつ必要になるかわからない重要な知識なのだ。
すこしスピーキングでつまずいたからと言って、自国の教育を駄目だと容易に容易に考えるのは悲しいことである。
日本人がなかなかスピーキングが上達しずらいとしたら、それはただ単に経験が不足していることと自信が持てていないことくらいだと思う。
そして「自信をつける」ためには語学学校の中で同じレベルのクラスメートと話しているのは、個人的にはあまり賢い選択だとは思えない。
お互い生徒であるので、知らない単語も多いし聞きなれない言い回しも多い。
そのため文法、発音、適正な語彙をつかっていたとしても聞き返されるので、「あれこれって自然な英語じゃないのか…?」と不毛な疑心を持ってしまう。
スピーキングを学ぶ、と言ってしまったが、そもそもスピーキングって学ぶものだろうか?
スピーキングとは会話なのだから学ぶというよりは経験することによって上達するのだと思う。そしてその根幹となるのが文法と語彙である。
ネイティブと話す機会なんて語学学校以外の方が見つけやすいのだからわざわざ語学学校に行く必要あるかなぁと感じる。
以上のことから、私は語学学校に不満足なのである。
不満足なところを洗いざらい書いてみたらなんか気持ちがスッキリしたので良かった。
最後に、これはあくまで英語学習途中の私が思いの丈をつらつらと書いたまでであしからず!
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