キタミナ

当面は日本に帰らないでなんとかやろう。

英語学習 読書の有効性 ただ話していれば英語が上達するわけではない

こんにちは西江(@SNisie1129)だ。

 

最近になってようやくオーストラリアの地元民との交流が増えてきた。

そこで表題のようなことを思ったので、考えをまとめるついでに記事にしてみた。

 

 

エンドレス相槌

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外国人と話すとき、意味が分からなくても相槌を打ってしまうときはないだろうか。

筆者はある。もう滅茶苦茶ある。

 

いくら常識と協調性に欠ける筆者といっても、会話をいちいちストップしてはいけないとは分かっているので「yeah yeah(うんうん)」や「I see(なるほど)」と色々なバリエーションの相槌を調べているうちに相槌を打つことに関しては上手くなっていた。

 

相手もまさか私が会話の内容のをほぼ何も理解できずに相槌を打っていると思っていないだろう。

そんな相槌マスターの名に恥じない私の相槌により会話のスピードはアップ。使われる語彙も難解なものになっていく。固有名詞なんか使われるともう何が何だか分からない。それは動詞ですか?名詞ですか?なんて質問している私がいる。

 

 

これは持論だが、日本人に特に多いのがこの相槌マスターだと思う。

 

オーストラリア人は人の話を聞かない人が多いように感じるので、その中に私のような聞き上手な相槌マスターはある程度 需要があるようなのでよくお茶に誘われるのだが、当然 内容がくみ取れないので非常に面白くない。蟻の行列を見ている方がいくらか面白い。

 

 

 

勉強は必須

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「ネイティブと会話をしていれば会話の脈絡から英語を習得することは可能である」なんていうあむぁーい考え方をしていた時期があった。

しかし断言しよう。無理だ。

 

いやおそらくあなたに数年間の時間があれば可能なのかもしれないが、ワーキングホリデーなどといった1年 2年という短期間では間違いなく無理であろう。

 

先日このような持論を日本人のワーキングホリデーメーカーにぶつけてみたら「でも私達って子供の頃はお母さんとかから日本語習っていたよね」と言われ、一瞬 ハッとさせられたが、そのような赤ちゃんプロセスで語学を習得できるのは人生で一回だけだろう。

 

少なくとも私には無理。

 

そもそも教えてほしいのだが、いったい誰が私を赤ちゃんのように愛して語学を手とり足取り教えてくれるというのだろうか。私だって私のような男に手取り足取り教えようなんて微塵も思わない。願い下げだ。どう高く見繕っても今の私に赤ちゃんのような愛らしさは見つからない。

 

そして特に思うのが語彙である。

ネイティブスピーカーでなくとも、多少 母国で語学を習っている人達と話していると必ず聞いたことのない単語に出会う。

相手が上手く説明できれば良いが、現在の私レベル(大学受験のために英語を勉強したくらいのレベル)だと、ネイティブの説明でも理解できないことも多々ある。

 

そもそも知っている単語と聞き取れる単語は別物であり、なおかつ一つの単語にいくつもの意味合いを持つものがあるのが英語という言語である。

 

自分で単語の使い方などを勉強しないことには一向に聞き取る能力も向上することはないだろう。私がいい例である。

 

 

語学学習における読書の効能

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単語の使い方を知ることにおいて、読書は非常に有効な学習手段である。

 

 

例えば「昆虫法医学」なんて単語に初めてであたとき、皆さんはこの単語についてどういうことを想像するだろうか?

 

おそらく「昆虫を医学的になんかして法的になんかするんだろう」と想像したことだろうか。これはなぜかというと「昆虫」と「法(律)」と「(医学)」の単語を知っているからである。

 

このようなことはもちろん英語にもあてはまる。

 

例えば「able」という単語には「できる・可能」という意味合いがある。

そして「un」という接頭語には「できない・不可能な」といった否定の意味合いをもつ(例:unbelieable(信じられない))。

これらを合わせると「unable(できない)」という単語になったりする。

 

この能力を培うのに最適な勉強方法は読書以外にはないと思う。

 

読書していると、1ページに何個も未知の単語に出会うのでそのたびに辞書を引いているようでは時間がかかりすぎるので自分で自分なりに推測してなんとか意味合いが取れるように試行錯誤する。

その過程が大事なのだと思う。

 

 

ただ話せばいいというわけではないと思う

 

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先日 英語の勉強法について調べているとこんなことを書いておられる方がいた。

 

 

赤ちゃんは生まれてからすぐに言葉を話すわけではありません。

ある研究によると、赤ちゃんが成長し、言葉を身につけるステップは次のようになっているといいます。

「おぎゃー」などから始まり、発声する器官の発達とともに単語を話し始める。

そしてだんだんと言語力が広がっていき、4歳頃には日常的な言葉はほとんどわかるそうです。

そして5歳になると2000語~2500語も知っている状態になると。

ここまでで、いったい何人の子供が単語帳や英語字幕の映画を見るでしょうか。

いったい何人が本を読んで英語を覚えようとするでしょうか。

見ないですよね。

 

(中略)

 

話せるようになった人に『どうやって勉強したの?』って聞くとみんながみんな『とりあえず話した』と言うでしょう。

本を読みまくっただけ…なんて人は絶対にいません。

絶対。

話さない人は、話せないんです。

引用:英語学習者のほとんどが勘違いしてる、ある大切なこと。勉強の入り口とは?

 

私の個人的な意見としては、ただ話しているだけでは語学の向上はないと思う。

 

その例が私のワーキングホリデーの先輩 ヒロさんだ。

 

彼は2年間 ワーキングホリデーとしてオーストラリアで生活している。彼のワーホリの目標は英語学習らしく、たくさんの人達とコミュニケーションを取ってきたらしい。

 

しかし大変申し訳ないが、肝心の語学力は私が通っていた語学学校の一番下のクラスの人と同じくらいだと思ってしまった。

 

台湾人や中国人たちのような同じワーキングホリデーメーカーとは比較的 簡単な単語を使って会話出來ているようであるが、ネイティブスピーカーとはまったく意思疎通ができていなかった。また使われている単語も「like」や「hate」、「expensive」などの本当に簡単な単語だった。

 

語学学習をメインの目的としてワーキングホリデーをしている方にお伝えしたいのは、ワーキングホリデーメーカーとの会話で語学が向上するとは思わない方がよいということだ。

 

あれは会話というような高尚なものではなく、単語とボディランゲージを駆使した意思疎通にすぎない。

 

 

もちろん個人の目標によって「話せる」というのがどの程度のことを指すのかは異なるだろう。

私としては「話せる」というのは、会話中に知らない単語が出ても「まぁこんな感じの意味合いなんだろうな」といった感じで推測しつつ会話ができることだと思っている。

 

 

貴方が「おぎゃー」と生まれてきてからそのように日本語を話せるようになるまでには何年間かかっただろうか?同じくらいの時間を費やせるのであれば、ただ英語環境に身を置き ただ話すことだけを意識していればよいだろう。

 

 

まとめ

 

もちろん「話すこと」というのは重要である。

しかし同じくらい大事なのが「勉強すること」だと思う。

 

もちろん多少ストレスは感じるだろうが、筆者はそのストレスについては一概に悪いものだとは思わない。成長痛のようなものだ。

 

私はなかなか努力が実を結ばないことに悩みつつも決して努力を辞めない人が大好きである。

語学学校で英単語を手の甲にびっしりと書き連ねていた女の子を見たときは本当に感動した。ウルッときた。話しかける言葉は思い浮かばなかったので、心の中で熱くエールを送っておいた。

 

 

 是非 自分なりに勉強したり、試行錯誤しながら語学学習をしてほしい。

まいた種しか実らないのが語学学習である。

 

 

 

 

 

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