語学学校に通って 愛想笑いの重要性を知る
何故か連日 家に帰ってからは倒れるように仮眠をとってしまっている。
多分 相当に脳が疲労しているのだと思う。
それに何といっても、最近 心の底から笑えていないことからくるストレスも大きい。
講師の流暢すぎる会話のスピードで放たれるオーストラリアンジョークは一度で理解できるわけもなく、私が理解したときには会話は遥か先に進んでしまっている。
一応は周囲に合わせて笑うようにはしているものの、愛想笑いをするのは非常に疲れる。
同じ言語で話す会社の上司に愛想笑いをするのとはわけが違く、講師の表情やジェスチャー、周りの雰囲気という非常にあやふやな何かを読み取って作る高難度な愛想笑いである。母国で作る愛想笑いとはレベルが違う。
非常に心のHP的なものをすり減らす。
こうなってくると酔いもさめるようなあの上司のうら寒いギャグが懐かしい。あの時は終盤は無視してしまっていて申し訳なくも思う。
先日、ついに
「今のジョークどういうこと?」
となぜ笑ったのかを訪ねる禁断の質問をクラスメートにしたところ
「なんとなくだよ。意味なんか分からないよ」
という返答が返ってきた。
マジかお前。よく分からないジョークを聞いて机叩きながら大爆笑していたというのか。もうお前が恐ろしいよ。
割と真面目にクラスメートの何割がジョークの意味を理解して笑っているのか統計がとりたいくらいだ。8割は分かってねぇよ絶対。
帰ってからは料理に勤しんだ。
今日作ったのは極めて簡単、牛肉そぼろをご飯と混ぜて塩 胡椒で味付けして、最後にタイカレーの素(辛口)を添えただけのものだが見よ、なかなか料理として成り立っているではないか!
ただ少し味付けがくどいような気もしたのでレタスに巻いて食べた。
シャキシャキとした食感も相まって更に美味しく感じた。
語学力が停滞期のときは他のことが捗る。
多動力とはこういうことなのかもしらん。
家に帰ってから、なぜ人は笑うのかについて調べてみたところ、1番の理由には「他人との関係を密接にするため」らしい。笑い合うことによって親密度が向上するとのことだった。
つまり面白いか面白くないかはさほど重要ではないらしい。
しかも語学学校における愛想笑いの美味さというのは非常に意味を成し、それによって友達との会話がはずんだりしているように見えるので語学学習には結構な効果があるようだ。
一度は私も愛想笑いを頑張ろうと思ったが、やはり難しいものは難しいし、何よりさほど面白くないことで笑うのは性に合わない。
ならば私は違うことをして語学力の向上を図らなければならいけないと思い、現在 模索中。
きっと他にも道はあるはずなのだ。